環境俳句 

魔法の氷(1)

野村び骨

 

流れ行く大根の葉の早さかな 高浜虚子

 ラグビーの試合を観ていると強烈に肉体と肉体がぶつかって球を獲り合うのは実に爽快というか溜飲が下がる思いで、まるで自分がゲームに登場しているかのような気分になります。そうした試合の跡切れる時一人の選手が倒れている。レフリーがベンチの方へ手を挙げると大きな薬缶を下げた人が走って来て倒れた選手の頭や首筋に水をかけるのを一試合で一度や二度は観る。やがて水をかけられた選手は頭を振りながら自陣の輪にまぎれレフリーの試合画開の笛が鳴って試合が続けられる。正にラグビーの選手にとって水は魔法の水である。

 昔から「水は天からの貰い水」と伝えられてきた。単にH2Oだけではなくほとんど無限といっていい様々な物資を溶かし込んでいる。海から蒸発する、雲になる、雨や雪になる、地上のあらゆるものの上に降りそそぐ、地下に吸われる地下水、川を流れる、コンクリートの土管を流れる、湖地沼に溜る、海へ流れる。こうしてあらゆる場でそこにいたるものを取り込んでいる。正に水はオールマイテイーと呼ばれもよい万能力者である。また生き物の命そのものといっていいのが水である。熱砂に住む動物たちにしても水無しではどうにもならない。人間の体重の70%は水だと言われている。人間も魔法の水から誕生したのであるから多くの水を必要とするのは自然なことである。

 私たちは今「昔の小川にはメダカをはじめ沢山魚や虫がいたのに、この汚れはどうだ」と嘆く。市中のドブ川の異臭に顔をそむける。井戸水からカドミウムが検出されたと怒る。里山の回復、ブナ林の保護など大わらわである。千枚田を維持するために田植ツアーなるものを企画し都会人が集まって来る。近海魚猟の復活に川の水源地域への植林をする。全くあれもこれも大忙しである。

夜濯ぎのざあざあ水をつかひけり 森川暁水

 水道の水ではコーヒーがまずいとコンビニでミネラル水を買ったり自動車で一時間もかけて評判の泉へ水を貰いに出掛ける。と言って水道水を少しでも良質にしようと一部の人は努力しているが大方ははなから無関心というかあきらめていると言うか、貴方まかせで水を使っている。

百日紅(さるすべり)ごくごく水を呑むばかり 石田波郷

とうとうと水は流れ芽生かぬ木 び骨


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